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東北大学学友会能楽部喜多会お稽古日記☆

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こんばんは。中島です。今日は、4月13日の春季明生会のリハーサルと連吟、仕舞、連調の稽古をしました。OB、OGの方々がいらっしゃったので、これまで悩んでいた点を訊くことができました。やはり、先輩は的確なアドバイスをして下さる・・・。う~ん、僕も先輩みたいに後輩に色々と上手にアドバイスできるようになりたい・・。春季明生会に向けてどんどん精度が上がっているのではと思います。
(※春季明生会とは?・・喜多流能楽師である粟谷明生先生主催の発表会。今年は、4月13日に東京の目黒の喜多六平太記念能楽堂で9時30分から18時まで開催します。入場無料である上、会の最後には粟谷明生先生の仕舞が見られますよ!お時間があれば、是非東京へGO!)
 それでは、お稽古の話はそれくらいにして次に本の紹介をしましょう~。その本は、『能楽への招待』(著者・梅若猶彦、岩波新書)です。昨日、図書館で借りてすぐ読み終えました。最初の部分では、簡単な能の紹介をし、その後は能の演じ方を論じています。その能の演じ方の箇所でとてもショッキングに思ったものがありました。
 1つ目は、お能は内部の動き(身体の内部の動き)に働きかけて演じなければならないということです。能では動いていないように見える場面が多々ありますが、その際でも内面の操作(内面の動き)はあるようです。むしろ、動いていないように見える時こそ、高揚感といった内面の動きがあるようです。シカケ、ヒラキといった型をきれいにやろうというのは、二次的問題だと書かれていたのです。これまで、先生のように美しく舞えるように型の精度の向上に努めてきた私でしたが、身体内部の動きなんて考えたことがありませんでした。これからも型をしっかり身につける段階で甘んじることでしょうが、文中で「ヒラキの上達も、必ずしも型の反復練習の数には比例しません」(P.113)と書かれてしまっては今後どう稽古に励むべきか困ってしまいます。これ以上上達できないのではと疑心暗鬼に陥ってしまうのです。
 2つ目は、先生の真似には問題があるのだと書かれていた点です。理由としては、いくら先生の舞う型をまねても先生の内面の動きを習得できない点を挙げています。この点は、世阿弥が指摘したようです。(P.113参照。)
 3つ目は、能での美の最高の境地は「無」である点です。もはや、素人の私にはついていけない話です。我々東北大学学友会能楽部が師事する粟谷明生先生はこの「無」の境地に向かって演じていると考えると感心せずにはいられないです。(いや、もはや先生は無の境地に達しているのか?)
 このように私は能の奥深さと上達の限界を知りましたが、本の読解・解釈に問題があれば、ご指摘ください。とても奥深く、抽象的な内容なので、誤読の可能性があります。
 あっ・・話が長くなりました。すみません。失礼します。次回は、能や狂言などの古典芸能が時代の流れに対応して様々な変革を進めていることに言及する予定です。(※具体的言うと、オペラと狂言のコラボレーションとか、能によるオペラとかそういう変革・・梅若氏は『リア』という能をしたようです。リアとはリア王を模したモダンな能のようです。)
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