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こんにちは。すっかり更新がされてませんね。
明生会が終わり燃え尽きてしまった東北大学喜多会はいまやすっかり死に体です。部員全員一丸となって稽古に励んでいたかつての姿は見る影もありません。夜中まで謡の声が鳴り響いていた部室からも、今はゲームの音が聞こえるばかり。哀れさのみが漂います…
というのは冗談ですが。こんな馬鹿げたことを書くのは僕くらいしかいません。そう、瀧塚です。
現在東北大学喜多会は新体制に移行するために水面下で蠢いているようです。じきに今まで以上にパワーアップした姿を皆さんの前にあらわすことでしょう。その日まで待っていてください。俺達の戦いは始まったばかりだ!なりさわ先生の次回作にご期待くださひ
…さて、いざ書き出してみると予想以上に中身がなかったので、かなり今更ですが今回の明生会から考えたことをば書こうと思います。
が、長いですし面白くないですし若干どころじゃなく中二っぽいんでまったくおすすめはしません。
物好きな方だけお読みください。
明生会が終わり燃え尽きてしまった東北大学喜多会はいまやすっかり死に体です。部員全員一丸となって稽古に励んでいたかつての姿は見る影もありません。夜中まで謡の声が鳴り響いていた部室からも、今はゲームの音が聞こえるばかり。哀れさのみが漂います…
というのは冗談ですが。こんな馬鹿げたことを書くのは僕くらいしかいません。そう、瀧塚です。
現在東北大学喜多会は新体制に移行するために水面下で蠢いているようです。じきに今まで以上にパワーアップした姿を皆さんの前にあらわすことでしょう。その日まで待っていてください。俺達の戦いは始まったばかりだ!なりさわ先生の次回作にご期待くださひ
…さて、いざ書き出してみると予想以上に中身がなかったので、かなり今更ですが今回の明生会から考えたことをば書こうと思います。
が、長いですし面白くないですし若干どころじゃなく中二っぽいんでまったくおすすめはしません。
物好きな方だけお読みください。
下の記事で伊藤くんも書いている舞囃子「八島」の地謡についてです。あくまで僕個人についてなんですが、あの地謡は失敗でした。仙台に帰ってきてからビデオで見て悟りましたが、あの地謡は完成度が低かった。
最初から声を出しすぎ、後半では結局スタミナが切れ、声量が落ちていました。気持ちがいくら乗っていても明らかに後半に行くほど疲れが見て取れる謡でした。簡単に言えば、張り切りすぎです。本当は後半に行くほど力強く謡わないといけないはずなのに、台無しにしてしまいました。
あれは酔った謡でした。自分に酔い、場の雰囲気にも酔っていました。
完全に受け売りなんですが、エンターテイメントの世界にはこんな言葉があるそうです。
自分だけ盛り上がっていて、観客が盛り上がっていないのが、三流
自分が盛り上がっていて、観客も一緒に盛り上がっているのが、二流
自分は盛り上がらずにいて、観客だけ盛り上がっているのが、一流
今回の地謡は、自分が盛り上がってしまっていたのでまず一流ではありません。観客の皆さんがどのようにお聴きになっていたかはわかりませんが、少なくとも自分が盛り上がりすぎたことにより謡の完成度を下げてしまいました。今まで自分たちが構成を考え、練習してきた謡も無視してぶち壊してしまいました。だからあの謡は三流でした。
では作品の完成度を下げるくらいなら一切盛り上がらない方がよかったのか、そうとも言い切れないと思います。
何故なら僕たちはプロではなくただの学生で、たった一度しかない学生生活の中で舞い謡っているからです。どんなに上手く舞い謡えたとしても、そこに楽しみや感動を見出すことが出来なければ意味がない。貴重な時間をただ浪費しているだけです。
今回の「八島」の地謡も、後で見返したら明らかに失敗でしたが、謡っているあの瞬間は間違いなく楽しかったし感動的でした。そういった恍惚に身を任せることは決して無駄ではなかったと思います。
上の言葉の中では、僕は二流が一番理想的だと思います。自分自身が盛り上がり、観客も盛り上がったのなら、これ以上望むことはないと思います。
しかし二兎を追うことは難しい。自分の感情の高まりや感動が作品の完成度の高さとY=Xで結びつけばいいですが、必ずしも上手くいくものではないと思います。YかXのどちらか片方しか手に入れられないとなった場合、一体どちらを選ぶべきなのか。
僕にはわかりません。答えはきっと考えた人の数だけあるのではないかと思います。
ただ僕は、二兎を手に入れられるだけの実力が欲しい。自分の未熟さを恨みます。
最初から声を出しすぎ、後半では結局スタミナが切れ、声量が落ちていました。気持ちがいくら乗っていても明らかに後半に行くほど疲れが見て取れる謡でした。簡単に言えば、張り切りすぎです。本当は後半に行くほど力強く謡わないといけないはずなのに、台無しにしてしまいました。
あれは酔った謡でした。自分に酔い、場の雰囲気にも酔っていました。
完全に受け売りなんですが、エンターテイメントの世界にはこんな言葉があるそうです。
自分だけ盛り上がっていて、観客が盛り上がっていないのが、三流
自分が盛り上がっていて、観客も一緒に盛り上がっているのが、二流
自分は盛り上がらずにいて、観客だけ盛り上がっているのが、一流
今回の地謡は、自分が盛り上がってしまっていたのでまず一流ではありません。観客の皆さんがどのようにお聴きになっていたかはわかりませんが、少なくとも自分が盛り上がりすぎたことにより謡の完成度を下げてしまいました。今まで自分たちが構成を考え、練習してきた謡も無視してぶち壊してしまいました。だからあの謡は三流でした。
では作品の完成度を下げるくらいなら一切盛り上がらない方がよかったのか、そうとも言い切れないと思います。
何故なら僕たちはプロではなくただの学生で、たった一度しかない学生生活の中で舞い謡っているからです。どんなに上手く舞い謡えたとしても、そこに楽しみや感動を見出すことが出来なければ意味がない。貴重な時間をただ浪費しているだけです。
今回の「八島」の地謡も、後で見返したら明らかに失敗でしたが、謡っているあの瞬間は間違いなく楽しかったし感動的でした。そういった恍惚に身を任せることは決して無駄ではなかったと思います。
上の言葉の中では、僕は二流が一番理想的だと思います。自分自身が盛り上がり、観客も盛り上がったのなら、これ以上望むことはないと思います。
しかし二兎を追うことは難しい。自分の感情の高まりや感動が作品の完成度の高さとY=Xで結びつけばいいですが、必ずしも上手くいくものではないと思います。YかXのどちらか片方しか手に入れられないとなった場合、一体どちらを選ぶべきなのか。
僕にはわかりません。答えはきっと考えた人の数だけあるのではないかと思います。
ただ僕は、二兎を手に入れられるだけの実力が欲しい。自分の未熟さを恨みます。
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(03/28)
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(03/24)
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