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ええと、近藤です。
最後くらいかっこつけてやろうと思ったタイトルなのですが…後悔してます…
…だいぶ前ですが、明生会について書かせていただきます。
なんか恥ずかしかったので、だいぶ後回しにしてしまってすみません。
ものすごく長くなったので、読み飛ばしてくださって構いません。
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では、明生会についてです。
去る9月12日(日)セルリアンタワー能楽堂にて第76回秋の明生会が開催され、私達東北大学喜多会も会に参加させていただきました。
発表演目は、仕舞9番に連吟1番、連調2番に舞囃子3番でした。また、みちのく明生会様の連吟にも参加させていただきました。
明生会のトップバッターを飾ったのは男子連吟『項羽』でした。役の声がポーンと出ていて、1年男子の成長が感じられました。
次は仕舞9番で、合宿とその後のお稽古の成果をみな発揮することが出来ていました。緊張している1年生を勇気づける2年生の姿が嬉しかったです。(去年あんな緊張していたのに…)
その後は、各々仕事をしつつ、他の会の皆様の素晴らしい発表を拝見していました。途中、ある部員に対して「生まれたてのおぜ…こじか」という言葉がささやかれるとこともありましたが(笑)ごめん(笑)
連調も後で先生に完成度が高かったというお言葉をもらうことが出来たので、よかったです。
そして…舞囃子ですね~
3番舞囃子の最初は、『草紙洗小町』でした。私は地頭として参加しました。
最初の部分は、小町が周りに勧められて舞を舞う~という導入部分なので、秋田を送り出すように謡いました。「あ、今の謡の感じ送り出してるっぽくね?」と真ん中に向かう秋田を見ながら思いました(笑)
中の舞の部分は「囃子も舞も綺麗だな~」と思いながら座っていました。だいたい覚えていたので、すごく短く感じました。
そしてキリ部分。一旦自分の喉が朽ち果ててもいいから(爆)めでたく謡おうと思って謡いました。秋田の仕舞は綺麗で、小町もこんな感じなのかなぁと思いました。
そして、草紙が終わり、私は、とりあえず地頭の役目を全うできたかしら…という達成感に浸る間もなく、「あぁぉぅ経政ぁぁ…」という緊張に襲われていました。
あ、でも秋田が泣いていて「近ちゃんありがとう」と言われた時はなんかじ~んと来ました。
次の舞囃子は『小袖曽我』
しては佐々木、小林兄弟。地謡は男性。ええと…これ私が書いていいのか?してさんとか地頭さんとか、溢れる想いのある方は、記事を書くなり、コメントを書くなり、よろしくお願いします。
きちんと観たのはビデオでなのですが、揃うところはビシッと揃っていて、またところどころに二人の個性が覗いていて、観ていて面白かったです。曽我物語を知っているので、ここはこういう風に舞いたいんだろうなということも伝わってきました。二人とよく自主練習していたので、そういうことも思い出されて感動的な舞台でした。本番が一番揃っていたとみんな言っていたので、ずっと二人でギリギリまで練習していた賜物なんだろうなぁ。
男子の謡に関しては、最強だったのではないかと。小嶋先輩の小鼓も音が綺麗で、掛け声が本当に力強くてかっこよかったです。
そして、無事に終わった後抱き合うシテを見ながら、じ~ん…。っていうか次私だよね((((;゜Д゜)))みたいな(笑)
最後は『経政』ですね。
私はシテをやらせていただきました。
最初は緊張していたのですが、明生先生にお声をかけていただいたり、出入りの際に音を立ててしまったりしてからは、冷静になって舞うことが出来ました。
前の2番が大成功で、間違うことがとても怖かったのですが、「楽しもう」とも思って舞いました。
正直、舞っている時のことはあまり覚えていません。
ですが、あれがあの時の私に出来る最高の経政だった気がします。
私にとって舞囃子とは、ものすごいご褒美であり、そして代表としての責任でした。
責任とか気にしない方がいいのでは…と思うかもしれませんが、私は、代表としての責任をもって「経政」を舞いたかったのです。
舞っている間は舞い方やどう見せたいかをイメージしたり、囃子や謡を色々聴いたりで、よくわからなくなっていたので、覚えてはいません。
そんな中で、ぎこちなかったり、早かったりしたかもしれないけれど、舞いきれたのは、明生先生をはじめとする先生方、ご協力いただいた社会人の方々、そして一緒にお稽古をしてきた部員(手伝ってくれた男子に、指導してくれた先輩方に、地謡やってくれた女子に、地頭やってくれた秋田ですね。安心して舞えました。たくさんお稽古してくれていたのを知っていたので。)のおかげだと思います。あとは、最低限稽古をしてきた自分もでしょうか?
今までを誇れるような明生会だったなぁと思います。
なんで泣かなかったの?と聞かれましたが、私にとっては、明生会(広くいえば代表の責任)の中に舞囃子というものがあったので、明生会が無事終了しない内は気が抜けなかったのかなぁと今では思います。正直番外仕舞を観に行くのに必死でしたし、終わっても余韻に浸る時間がなかったですし。
一人で帰りのバスの中、頭の中で能楽部のMADを作りながら泣いてました。近藤はそういうやつなのですよ。
こんな感じで明生会の報告を終わらせていただきます。
これで、私は、部の一線から退きます。(もう退きました。)
明生会が終わって思うことは、ずっと能楽部が続いていけばいいなぁということです。
次の代へと能楽と部の楽しさが伝わって、そういったつながりが続いていけばいいなぁと思いました。OBの方々にたくさん来てもらって、たくさんの人に応援してもらって本当にそう思いました。
能楽部とはなんなのか、人それぞれですけど、
大学生活の中で能楽を通して、色んな人に出会って、その人たちと一緒に能楽やその他諸々を真面目に楽しむ部なのかなと思います。
大変なこともたくさんあったけど、後から思うと、なんか全部いい思い出だった気がします。(なんて都合のよい頭だ)
仲間内では意見が衝突することもありましたが、それはみんな能楽部に対して真剣だったからだと思います。それにケンカしても、なんだかんだ、大変なときは助けてくれますし。
これからもそんな部が続いていくといいと思います。いや、ダメなところはどんどん直して欲しいけれども。
部員に…
まず1年生に…能楽部に入って、一緒に明生会に出てくれてありがとう。誰も入らなかったらどうしようかと思っていたら、こんなに素敵な新入生が入ってきてくれてびっくりです。お稽古も一生懸命だし、部会ではおもし…きちんと発言できる…、これからも頑張ってください。
次は、2年生に。正直仲良くなれるのか不安だったんだけど、気づいたら仲良くなっていた気がします。(そうだよね?)可愛くてしょうがないです。これからは2年生達が主体なので、責任もちつつ楽しくやっていってくれたらと思います。ま~私よりしっかりしているから大丈夫!
先輩方へ。甘えてばかりで迷惑かけてばかりですみませんでした。私達が4人で舞えるように計らってくださってありがとうございます。能から仕事からたくさんのことを教えていただきました。先輩方からもらったものは多すぎてなんと言ったらいいかわかりません(><)
最後に、一番一緒にお稽古してきて、おそらく楽しいこともつらいことも一緒に経験してきて、「なんで一人で抱え込むんだよ」とか「本当はどう思っているんだよ」とか色々言わせてしまって、たくさん迷惑をかけたのに、たくさんたくさん助けてくれた同期のよっちゃんとこばさんとりぃに「ありがとう」を。
…と長々書いてきて、最後の別れみたいなこと言っても、私普通に明後日のお稽古行くし、好謡会にも出るし、続けるんですけど(笑)
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これで一つの区切りなので、この一年の感謝を部を代表して私から皆様にお伝えします。
粟谷明生先生をはじめとする先生方、社会人の皆様、OB・OGの皆様、応援してくださった全ての皆様…
ありがとうございました。
これからも東北大学学友会能楽部喜多会は続くので、どうかよろしくお願いします。
こんどうでした。
という訳で、後は頼みました、む~。