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東北大学学友会能楽部喜多会お稽古日記☆

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こんばんわんこそば!
どーも。混迷を極める僕です。

さて、4月もそろそろ終わりに近づいているというこのタイミングでですが、能の魅力について語ろうと思います!

・能には色々な曲があります。めでたい曲から悲しい曲、激しい曲から美しい曲、美女の曲から妖怪の曲など、多種多様な物語があります。そういった様々な曲の世界を、自分の声と扇一本で表現できるというのはワクワクします。

・能の謡は古語調です。それでもってかなり詩的で幻想的です。そんなんで神だとか鬼だとか源氏だとか平氏だとか謡うんですからそりゃあドキドキします。

・能の謡、囃子は変拍子満載です。だから伝統芸能とはいえど非常にプログレッシブだと言えるかもしれません。ゾクゾクしますね。

・しかしプログレッシブとはいっても能の謡は非常に様式美を重んじているように思えます。それでもって壮大でドラマティックですので、そういうのが好きな人はもうピロピロすればいいと思います。

・あと、とりあえずこいつでも見てみてください。
奇跡の能楽堂ライブ

以上、どれか一つでもピンと来てしまった人は別に入部してくれとまでは言わないので僕と友達になってください。

嘘です。ぜひ入部して下さい。
しかし、実は上に挙げたのは能の魅力というよりも完全に僕の趣味なので、他にも能の魅力や取っ掛かり方はいくらでもあるはずです!
「能って、ちょっと面白そうだけど、でもやっぱりよくわからないわ…」というそんなあなたは!
4月30日(水)の文化フェスティバルで、13:00~16:00、C203教室で実際に能の舞と謡を発表しますので、気軽に見に来てください!

少しでも能に触れていただければと思います!
そのうえで上に書いたようなことに共感していただければと思います!

瀧塚(仮)

居場所を間違えた気がする…なんて言わない。
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感情は表現力です。表現力は技術です。
でも「エモーショナルな歌」と「テクニカルな歌」って、言葉から受ける印象が真逆ですよねー。

昨日部室を掃除していたら、なぜだかロッカーの中から賞味期限切れのうどんが大量に出てきました。頭抱えます…

そんな僕たち能楽部ですけど、興味を持たれた方は是非遊びに来てくださいね!新入部員絶賛募集中!

説明会
4月10日(木) C103
4月14日(月) C103
4月17日(木) C402 
4月21日(月) C407
4月24日(木) C402 いずれも16:30から

部室はC棟の向い、緑地帯の脇のG16です。扇の看板が目印!

T塚(仮)
どうも。今宵もT塚(仮)です。
先日の粟谷能の会のために東京に行ったときに、上野の国立博物館で能面展を見てきました。
「小面」や「翁」といったメジャーなものから、マイナーなものまで(マイナーなため名前も憶えていません。すいません)、16世紀頃の様々な能面が展示されていました。それで、能面とは見る角度によって表情が変わるものだと聞いていたので、そういうことも考慮しつつ、色々な能面を色々な視点から見てきたのですが、その中で特に目を引いたのは「泥眼」でした。
これは眼に金泥を塗るためにそう呼ばれ、「葵上」の前シテなど、品のよい美女の嫉妬に狂う様を表すそうですが、これを見ていてドキドキしてしまいました。他の面は、例えば上から見ると悲しんでいるように見え、下から見ると微笑んでいるように見える、とかなのですが、この「泥眼」は、
・上から見ると、悲しみながら恨んでいるように見える
・下から見ると、ぶち切れる寸前のように見える
・そのくせどちらの場合も、それを表に出さず内側にドロドロとため込んでいるように見える

といったどうしようもない代物で、見ているうちになぜだか目が離せなくなってしまいました。女性は大切にしないとダメですね…いや、みなさんが期待するような深い意味はありませんが。誠に残念ながら。


泥眼


そんなこんなで、色々楽しんできましたとさ。

僕には一炊の栄華も訪れません。T塚(仮)です。
さて、3月2日は東京の国立能楽堂まで粟谷能の会を見に行きました。
演目は「邯鄲」と「隅田川」で、どちらも素晴らしかったですが、特に「邯鄲」に感動しました。
この曲のあらすじを紹介すると、人生に思い悩んでいる蜀の国の廬生さんが、邯鄲の里で泊まった宿で、仙人が置いていった、悟りを開くことが出来るという枕で眠りにつきます。すると勅使が現れ、廬生を皇帝に迎えると言います。皇帝になった廬生は、不老不死の酒を飲み、歓喜の舞を舞い、50年間栄華を極めた日々を送ります。しかし、それもすべて夢の中のこと。宿の女主人が枕元で、粟飯が炊けたと言って廬生を起こします。目が覚めた廬生は、呆然としますが、人生とは何事も一炊の間の夢に過ぎないのだと悟り、帰って行く、という話です。

この曲は、後半の展開が素晴らしかったです。廬生が皇帝として舞を舞い、輝いているシーンから、(夢の中で)それが夢なのだと気づき、臣下も宮殿も消えていくことに狼狽するシーン、そして目が覚めて、ただ呆然と悲しむシーン、という一連の流れは、本当に鳥肌が立ちました。夢の終焉に向かって地謡、囃子が最高潮に盛り上がっていったところから、夢が覚めて一気に静寂が訪れ、そのあと呆然としたように静かに謡う、といった演出には、涙が出そうになりました。能を見て泣きそうになるのは初めてかも…
また、今回の邯鄲には、「傘之出」という小書きがついていました。廬生が最初に傘を持って現れ、帰るときに女主人からまた傘を受け取って帰る、という特殊演出なのですが、それがまたこの曲のラストをよくしていたように思います。地謡がすべて謡い終えた後に、女主人と軽い会話を交わして帰って行く様は、この曲の最後を劇的なものにするのではなく、逆にものすごく日常的なものにすることで、この曲の持つむなしさを一層引き出していたように感じました。
終演後は、ただ呆然とするのみでした。

ということで、今まで見た能で多分一番感動してきた僕でしたが、感動するだけでなく、しっかり勉強もしてきました。特に今回は謡のテンションの盛り上がり方、下がり方、幅の付け方が素晴らしかったので、しばらくはそれをテーマに謡っていこうと思います。
今回は色々と得るものが多かったです。こういった能を見れたことに感謝!ですね。それでは、長々と瀧塚でした。
こんばんは。
明日は粟谷能の会
まだ二回目ですが、前回から学んで多少の予習をしていきたいです

東京に一日早く来ました。友達の家から書いてます。

青春18で来たのでもうへとへとです。1人で電車七時間は飽きますね。
明日の開演中に夢の世界へ旅立たないように早く寝たいと思います。
夢の中まではJRも通ってないはず!

では明日のお能楽しみたいと思います。

おやすみなさい

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